2月 282008
 

地元のある古老から聞いた話

その人は、昭和20年代の後半頃、逓送(ていそう)の仕事をしていたという。逓送とは郵便物や新聞などを運ぶ仕事のことだ。

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当時、釧路から阿寒湖に抜ける道(今の国道240号線)は冬になると自動車の行き来が出来なかった。
閉鎖期間は、12月末から4月いっぱいくらいまで。
雪が積もっている時はもちろんだが、未舗装で砂利もろくに敷いていない道路は春先はぬかるんでとても車は走れなかったのだ。

釧路から阿寒町までは鉄道が走っていたため問題はないのだが、そこから先は代替輸送手段を使わざるを得なかった。
鉄道で運ばれた荷物は、阿寒町から馬そりで運ばれた。
馬そりは冬場の輸送手段として多用されていたいう。

問題は険しい山道が続く最後の四里(16km)程の区間。
この区間の輸送手段はなんと人力。
人間が歩いて運んだのである。

雪道なので当然スキーは履いた。
スキーといっても今のゲレンデスキーとは違う。下りは勿論だが登りもスキーを履いて歩くのである。

朝、阿寒湖畔を出発し山道を下り麓で荷物を預かり、それを運んで今度は登り坂を阿寒湖畔まで帰る。 往復で32km。

運ぶ荷物の量はその日によって違うが、郵便物と新聞だけだと小さな袋一つだが、小包があるときは20kgを超えることもあったという。

荷物は郵便物や新聞なので、どんなに量が多くても当日に届けなければならない。
小包の量が多い日は、2往復した事もあると言う。 
   一日に64km !!

最高では、一日2往復を二日続けて運んだことがあったそうだ。

ただただ脱帽である。


  9 コメント

  1. 吉良平治郎
    この方のことは御存知かな?

  2. はじめまして。
    時々お邪魔させてもらっております。
    森の人さんの生活は憧れですが、理想の域を脱出できない
    つまらん人間です。
    こんな私ですが良かったら私のブログに
    リンクを張らせていただけないでしょうか?

  3.  E-boy さん
    子供の頃修身の教科書で読みました。(うそ)
    最近はまた別の意味で取り上げられているようですね

  4.  masa.k さん  はじめまして
    きれいな写真が沢山あって素敵なブログですね。
    私は写真は素人なもので、思うように写真が撮れなくていつも悩んでいます。
    リンクはもちろんフリーですので、ご自由にどうぞ。

  5. ありがとうございます。
    更新楽しみにしています。

  6. 逓送の仕事されていた方には、本当に脱帽します!
    仕事に対する責任感が非常にあり、敬服してしまいます。
    毎日、山スキーで往復32kmも歩くなんて、とても人間業ではありませんね。

  7.  dad-hiro さん
    その上ダブルで64km!
    昔の人はホントに根性がありますよね。

  8. 中国の映画にもなった「山の郵便配達」を思い出しました。
    人力で山中を登っては降り、人とのふれあいを息子に伝える物語です。
    昔の逓送に従事されていた方々は、まして雪国では並大抵ではなかったと思います。
    尊敬してやみません。
    (今頃のコメントで失礼します)

  9.  つぼ焼き村役場 さん
    今うちに配達しに来てくれる郵便局の方も、若い頃はスキーで冬場の配達をしていたそうです。
    (夏も歩きだったそうです!)
    当時は当たり前だったんでしょうけど、すごいことですよね。
    「山の郵便配達」は気にはなっていたんですがまだ見ていません。今度見てみようと思います。

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